9月 2016 archive

|かたづけは苦手。

かたづけは苦手。バランス取れないから。
 やるとなったら徹底しなきゃ気が済まないのね。たとえば本棚はある法則に従ってぴっちり満たされていなければならない。大まかな内容ごとに分け、作家ごとに分け、作家は五十音順に、判型は大きいものから小さいものへ……完成するともう次の本を入れる場所がないw 加減しててきとーにやっておけよ、と自分でも思うのだけれど、それはなんだか不快。隙間のある本棚はぱたぱた本が倒れるからヤ。じゃあ、ってんで鈑金曲げたブックスタンド使ってみたりしたこともあるけど、今度はそれでできた隙間が気になり始めて落ち着かなくなった。なんだこの不安定な心はw
 掃除も同じ。てきとーにちゃっちゃ、というのがヤ。始めたらどこまでもいってしまう。こういうのって多分、精神的に歪んでるんだよね? そうだよね?w

 それとはまた違った部分で、モノが好きだった。
 こだわり性なので、いろいろ探求する傾向がある。すっげえくだらないことに心を注ぐ。
 たとえばオモチャのテッポウなんかいじっててもそう。
「このパーツのここんとこの曲線が美しい、なぜだ?」と、親指の爪ぐらいの部品いっこを小一時間無言で眺めていたりする。オモチャのテッポウ業界も競争社会ゆえw、人気のあるテッポウは複数のメーカーから発売される。コルトのM1911とその派生型なんて、つくったことのないメーカーはないんじゃないか。てことはメーカーの数だけ違うモノが存在する。は防犯バッチリってことらしいです!豪華クルーズ船を比べているのです。それを片っ端から並べて比べて、「K社のモデルはエッジというエッジを丸めているなあ……M社はこの部分のアールが他社に比べて小さいんじゃないか?……C社のは全体にスマートだなあ、なぜだろう?」なんて考え込んでたりする。
 同好の士に話しても「それは考えたことなかった」と言われてしまうようなとこに美を見出してうっとりしてたw

 そういう生活を満足させるには、現物がどうしても必要なんですな。
 店頭で見比べるだけじゃあ足りないし、自分のアタマの中に想起してもそれは歪んじゃうからダメ。現物をじっくり眺めていないとならない。
 必然的にモノは増える。
 でも掛け算あるいは累乗で楽しみも増える。
 それが自分の“組み立て方”になってたわけ。

 例の件で一旦いろいろリセットして、かなりモノを減らしたけど、二年も経つとまたぞろモノが増え始めたw おっかしいなーと思いつつも、最近ちょっとした変化に気づいた。
 目的がちょっと変わり始めている。
 以前はねえ、自分が愛でる、自分の記録にする、自分のモノが多かったのよ。
 今は“伝えたい”、伝えるための媒介としてモノを選ぶことが増えている。
 だれに、なにを伝える?
 当然、友人知人に。次の世代に。自分の見つけたことを。
 拡げる、伝える、そのための具体的な資料としてモノが必要と思う。
 そういう面もはっきりとでてきているの。

 たとえば、ついこないだもね。
 甥っ子が相談事あるってんで遊びに来た時に、例によって横道でね、写真の話になってね。「撮り方でいろいろウソつけるんだぞ」という話になり、具体例でテッポウの写真を見せたわけね。